といゝですな。」と、信一郎は暫らくしてから、沈黙を破つた。
「いや、若《も》し遅くなれば、僕も湯河原で一泊しようと思ひます。熱海へ行かなければならぬと云ふ訳もないのですから。」
「それぢや、是非湯河原へお泊りなさい。折角お知己《ちかづき》になつたのですから、ゆつくりお話したいと思ひます。」
「貴方は永く御滞在ですか。」と、青年が訊いた。
「いゝえ、実は妻が行つてゐるのを迎へに行くのです。」と、信一郎は答へた。
「奥さんが!」さう云つた青年の顔は、何故だか、一寸淋しさうに見えた。青年は又黙つてしまつた。
 自動車は、風を捲いて走つた。可なり危険な道路ではあつたけれども、日に幾回となく往返《ゆきかへり》してゐるらしい運転手は、東京の大路を走るよりも、邪魔物のないのを、結句気楽さうに、奔放自在にハンドルを廻した。その大胆な操縦が、信一郎達をして、時々ハツと息を呑ませることさへあつた。
「軽便かしら。」と、青年が独語《ひとりごと》のやうに云つた。いかにも、自動車の爆音にもまぎれない轟々と云ふ響が、山と海とに反響《こだま》して、段々近づいて来るのであつた。

        七

 轟々ととゞろ
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