弟なのだらう。品のよい鼻と、黒く澄み渡つた眸とが、争はれない生れのけ高さを示してゐた。殊に、け高く人懐しさうな眸が、此の青年を見る人に、いゝ感じを与へずにはゐなかつた。クレイヴネットの外套を着て、一寸した手提鞄を持つた姿は、又なく瀟洒に打ち上つて見えた。
「それで貴君《あなた》様の方を、湯河原のお宿までお送りして、それから引き返して熱海へ行くことに、此方《こちら》の御承諾を得ましたから。」と、大男は信一郎に云つた。
「さうですか。それは大変御迷惑ですな。」と、信一郎は改めて学生に挨拶した。やがて、二人は大男の指し示す自動車上の人となつた。信一郎は左側に、学生は右側に席を占めた。
「湯河原までは、四十分、熱海までは、五十分で参りますから。」と、大男が云つた。
 運転手の手は、ハンドルにかゝつた。信一郎と学生とを、乗せた自動車は、今発車したばかりの電車を追ひかけるやうに、凄じい爆音を立てたかと思ふと、まつしぐらに国府津の町を疾駆した。
 信一郎は、もう四十分の後には、愛妻の許に行けるかと思ふと、汽車中で感じた焦燥《もどか》しさや、いらだたしさは、後なく晴れてしまつた。自動車の軽動《ジャン》
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