とは、云ひ兼ねたらしかつた。
「ぢや、美奈さんを残して置きませうか。」
 母は青年に相談するやうに云つた。
 さう聴いた青年の面《おもて》に、ある喜悦の表情が、浮んでゐるのが、美奈子は気が付かずにはゐられなかつた。その表情が、美奈子の心を、むごたらしく傷けてしまつた。
「ぢや、美奈さん! 一寸行つて来ますわ。寂しくない?」
 母は、平素《いつも》のやうに、優しい母だつた。
「いゝえ、大丈夫ですわ。」
 口|丈《だけ》は、元気らしく答へたが、彼女の心には、口とは丸切り反対に、大きい大きい寂しさが、暗い翼を拡げて、一杯にわだかまつ[#「わだかまつ」に傍点]てゐたのだ。
 母と青年との姿が、廊下の端《はづれ》に消えたとき、扉《ドア》の所に立つて見送つてゐた美奈子は、自分の部屋へ駈け込むと、床に崩れるやうに、蹲まつて、安楽椅子の蒲団に顔を埋めたまゝ、暫らくは顔を上げなかつた。熱い/\涙が、止め度もなく流れた。自分|丈《だ》けが、此世の中に、生き甲斐のないみじめ[#「みじめ」に傍点]な人間のやうに、思はれた。誰からも見捨てられたと云つたやうな寂しさが、心の隅々を掻き乱した。
 友達にでも、手紙を書けば、少しでも寂しさが紛らせるかと思つて、机の前に坐つて見たけれども纏つた文句は、一行だつて、ペンの先には、出て来なかつた。母と青年とが、いつもの散歩路を、寄り添ひながら、親しさうに歩いてゐる姿だけが、頭の中にこびり付いて離れなかつた。
 その中に、寂しさと、彼女自身には気が付いてゐなかつたが、人間の心に免れがたい嫉妬とが、彼女を立つても坐つても、ゐられないやうに、苛《さいな》み初めてゐた。彼女は、高い山の頂きにでも立つて、思ふさま泣きたかつた。彼女は、到頭ぢつとしてはゐられないやうな、いら/\した気持になつてゐた。彼女は、フラ/\と自分の部屋を出た。的もなしに、戸外に出たかつた。暗い道を何処までも何処までも、歩いて行きたいやうな心持になつてゐた。が、母に対して、散歩に出ないと云つた以上、ホテルの外へ出ることは出来なかつた。彼女は、ふとホテルの裏庭へ、出て見ようと思つた。其処は可なり広い庭園で、昼ならば、遥に相模灘を見渡す美しい眺望を持つてゐた。
 美奈子が、廊下から、そつとその庭へ降り立つたとき、西洋人の夫妻が、腕を組合ひながら、芝生の小路を、逍遥してゐる外は、人影は更に見えなかつ
前へ 次へ
全313ページ中261ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング