ともしないような堅牢なものになった。
 男の子が生れたその翌年に、今度は女の子が生れ、その二年目に、今度はまた男の子が生れた。子供の成長とともに、俊寛の幸福は限りもなく大きくなっていった。鬼界ヶ島に流されたことが、自分の不運であったか幸福であったか分からない、とまで考えるようになっていた。

          四

 有王《ありおう》が、故主の俊寛を尋ねて、都からはるばると九|国《ごく》に下り、そこの便船を求めて、硫黄商人の船に乗り、鬼界ヶ島へ来たのは、文治《ぶんじ》二年の如月半《きさらぎなか》ばのことだった。
 寿永《じゅえい》四年に、平家の一門はことごとく西海《さいかい》の藻屑《もくず》となり、今は源家の世となっているのであるから、俊寛に対する重科も自然消え果てて、赦免の使者が朝廷から到来すべきはずであったが、世は平家の余類追討に急がわしく、その上、俊寛は過ぐる治承三年に、鬼界ヶ島にて絶え果てたという風聞さえ伝わっていたから、俊寛のことなどは、何人《なんびと》の念頭にもなかった。
 ただ、故主を慕う有王だけは、俊寛の最期を見届けたく、千里の旅路に、憂《う》き艱難《かんなん》を重ね
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