椿《つばき》の花が一面に咲く。信天翁《あほうどり》が、一日一日多くなって、硫黄ヶ岳の中腹などには、雪が降ったように、集っている。
 生れて初めての自然生活は、俊寛を見違えるような立派な体格にした。生白かった頬は、褐色に焼けて輝いた。去年、着続けていた僧侶の服は、いろいろのことをするのに不便なので、思い切ってそれを脱ぎ捨て、思い切って皮かつらを身にまとった。生年三十四歳。その壮年の肉体には、原始人らしいすべての活力が現れ出した。彼は、生え伸びた髪を無造作に藁《わら》で束ねた。六尺豊かの身体は、鬼のような土人と比べてさえ、一際《ひときわ》立ち勝《まさ》って見えた。
 彼は、時々自分の顔を、水鏡《みずかがみ》で映して見る。が、その変りはてた姿を、あさましいなどと思ったことはない。むろん現在の彼には、妻子が時々思い出されるだけで、清盛のことなどは、念頭になかった。平家が、千里のかなたで奢《おご》っていようがいまいが、そんなことは、どちらでもよかった。それよりも彼は、自分が植えつけた麦が成長するのが、一日千秋の思いで待たれた。
 麦の畑に生《お》うる雑草を取ることは、彼の半日の仕事として、十分だ
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