ために、自分の持物の中で、土人の欲しがりそうなものをいろいろ考えてみた。土人の欲しがりそうなものは、自分の生活にも欠くべからざるものだった。俊寛は、ふと鳥羽《とば》で別れるとき、妻の松の前から形見《かたみ》に贈られた素絹《しろぎぬ》の小袖を、今もなおそのままに、持っているのに気がついた。それは、現在の彼にとって、過去の生活に対する唯一の記念物だった。彼は、一晩考えた末、この過去の生活に対する記念物を、現在の生活の必須品《ひっすひん》に換えることを決心した。彼は、いとしい妻の形見を一袋の麦に換えた。そして、それを彼が自分で拓いた土地に、蒔いた。
 自分で拓いた土地に、自分の手で蒔いた種の生えるのを見ることは、人間の喜びの中では、いちばん素晴らしいものであることを、俊寛は悟った。ほのかな麦の芽が、磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《ぎょうかく》な地殻からおぞおぞと頭を擡《もた》げるのを見たとき、俊寛は嬉し涙に咽《むせ》んだ。彼は跪《ひざまず》いて、目に見えぬ何物かに、心からの感謝を捧げたかった。
 鬼界ヶ島にも春はめぐってくる。島の周囲の海が、薄紫に輝きはじめる。そして、全島には、 
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