、飲食したことはなかった。彼は椰子の実の汁を吸っていると、自分の今までの生活が夢のように淡く薄れていくのを感じた。清盛、平家の一門、丹波少将《たんばのしょうしょう》、平判官《たいらのはんがん》、丹左衛門尉《たんさえもんのじょう》、そんな名前や、そんな名前に対する自分の感情が、この口の中のすべてを、否、心の中のすべてを溶かしてしまうような木の実の味に比べて、まったく空虚なつまらないもののような気がしはじめた。
俊寛は、口の中に残る快い感覚を楽しみながら、泉のほとりの青草の上に寝た。そして、過去の自分の生活のいろいろな相《そう》を、心の中に思い出してみた。都におけるいろいろな暗闘、陥擠《かんせい》、戦争、権勢の争奪、それからくる嫉妬、反感、憎悪。そういう感情の動くままに、狂奔《きょうほん》していた自分のあさましさが、しみじみ分かったような気がした。船を追って狂奔した昨日の自分までが、餓鬼《がき》のようにあさましい気がした。煩悩《ぼんのう》を起す種のないこの絶海の孤島こそ、自分にとって唯一の浄土ではあるまいか。康頼や成経がそばにいたために、都の生活に対する、否、人生に対する執着が切れなかっ
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