みを伝えてくれた。
 誰かに持って行かれたのだという疑いが、だんだん明らかな形を取り出した。そう思うと、自分の横に座っていた印半纏《しるしばんてん》の男が浚《さら》って行ったのかも知れないと思った。が、あの男が家へ帰って「希臘彫刻手記」と原稿紙と弁当とを見|出《いだ》して、一体それを何にするであろうかと思った。俺に、こんなに迷惑をかけながら、向うでは少しも得をしない、罪悪の中でもこうした罪悪が、結果的にはいちばん性質の悪いやつかも知れないと、譲吉は思った。
 本屋から貸してくれた原本を無くしたこと、それは少しの義理を欠けば済むことだが、自分の金儲けの希望を、それほど些細に、手軽にふいにしてしまったことが、彼には堪らなく不快であった。が、まだまるきり失望するには当らない。明日電気局へ行けば、都合よく届け出されてあるかも知れないと思った。
 が、翌日電気局へ行ってみたが、やっぱり無かった。念のために、警視庁の拾得係へ行ってみたが、やっぱり無かった。もう盗られたのに違いなかった。困っている俺にとっては、あんなに大切のものを、ほんの出来心に盗るやつがあるかと思うと、譲吉は何となく腹立たしかった
前へ 次へ
全19ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング