如として居る。
 この氏直は氏政の子であって此の時の責任者だ。氏直を入れて、後《のち》北条は五代になるのだ。
 此の手切文書を受けとった氏政は、是を地に擲《なげう》って弟の氏照に向い、一片の文書で天下の北条を恫喝《どうかつ》するとは片腹痛い、兵力で来るなら平の維盛の二の舞で、秀吉など水鳥の羽音を聞いただけで潰走《かいそう》するだろうと豪語したと云う。上方勢は、柔弱だと云う肚が、どっかにあったのであろう。
 武田信玄でも上杉謙信でも、早くから北条氏には随分手を焼いて居る。つまり箱根と云う天然の要害に妨げられたからである。謙信など長駆して来て、小田原を囲んだが、懸軍百里の遠征では、糧続かず人和せず、どうにも出来なかった。ただ城濠の傍近く馬から下り、城兵に鉄砲の一斉射撃を受けながら、悠々としてお茶を三杯飲んだと云うような豪快な逸話を残している丈だ。
 併し秀吉は、信玄や謙信の様に単なる地方の豪傑ではない。既に天下の秀吉だ。箱根の麓あたりで独り思い上って居る北条は、こんなところで取返しのつかない大誤算を犯したと云うべきだ。

       秀吉の出陣

 天正十八年二月七日、先鋒として蒲生|氏
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