かと思う。尤も秀吉の腹では、北条家を残して置けば、姻威関係のある家康の無二の味方とでもなると思ったのだろうか。九州の島津に寛大でありながら、北条氏に少し苛酷である。尤も、島津は北条ほど、秀吉に面倒をかけていないが、しかし、北条家が関東の大藩として残っていた方が、徳川の勢力が、あんなにも延びなかったのではないかと思われる。秀吉死後など、北条家はどんな行動をしただろうかなどと考えて見ると、なかなか興味が深い。
氏政、氏照は殺されたが、籠城の士は凡て、生命を助けられた。ただ忌諱に触れていた連中は、捕えられた。
裏切をした松田憲秀は、二男の左馬介が氏直に、この事を訴えたので、捕えられて、城中に押し籠められていたが、このとき長男の新六郎と共に黒田如水の所へ預けられていた。秀吉、左馬介を憎んで殺せと、如水に命じた。如水承ると云って、左馬介を殺さずして、長男の新六郎を殺してしまった。秀吉怒って、何とて新六郎を殺せしや、左馬介は父子を訴えし憎き奴なれば殺せと云ったのだと怒ると、如水曰く「新六は父と共に譜第の主人に背《そむ》きしものなれば武道に背き、忠孝ともになきものなり。左馬介は、父には背けども、
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