小田原方でも負けないで、持久の計を立てて居る。
「昼は碁、将棋、双六を打つて遊ぶ所もあり。酒宴遊舞をなすものあり。炉を構へて朋友と数奇に気味を慰もあり。詩歌を吟じ、連歌をなし、音しづかなる所もあり。笛|鼓《つづみ》をうちならし乱舞に興ずる陣所もあり。然《しかれ》ば一生涯を送るとも、かつて退屈の気あるべからず」と『北条五代記』にあるから、此又相当なものである。見たところ此れ位呑気な戦争は、戦国時代を通じて外にあるまい。こうなった以上根気較べの他はない。

       小田原城の陥落

 戦争のやり方も相手に依りけりだ。いかに籠城が北条の十八番《おはこ》でも、のびのびと屈托のない秀吉に対しては一向利き目がない。それどころか夫子《ふうし》自身、此のお家伝来の芸に退屈し始めて来た。
 そこで広沢重信は、城中の士気を振作すべく、精鋭をすぐって、信雄と氏郷の陣を夜襲した。蒲生氏郷自ら長槍を揮って戦い、胸板の下に三四ヶ所|鎗疵《やりきず》を受け、十文字の鎗の柄も五ヶ所迄斬込まれ、有名な鯰尾《なまずお》の兜にも矢二筋を射立てられ乍ら、尚も悪鬼の如く城門に迫って行ったとあるから、兎に角強いものである。
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