りと聞く、立上がれ、一太刀参らうと、冗談半分に、一本、釘を打って居るのである。此の場は家康の気転で収ったが斯うした空気が常に二人の間に流れて居たことはわかる。
 亦此の陣で、関白が僅か十四五騎ばかりで居たことがある。井伊直政は今こそ秀吉を討ち取る好機だと、家康に耳語したところ、「自分を頼み切って居るのに、籠の鳥を殺すような酷《むご》いことは出来ない。天下をとるのは運命であって、畢竟《ひっきょう》人力の及ぶ所でない」と、たしなめたと云う。
 強い者に対した時だけ、信義を振り廻すのが一番であると確信して居る家康の処世術のこれが要訣である。つまり、家康は無理はしたくなかったのである。
 とにかく秀吉は、斯んな流言を有害と見做《みな》して、早速取消運動にかかって居る。自ら巡視と称して刀を従者に預けたまま、小姓四五人を連れて大声をあげて家康の陣に行き、徹宵して酒を飲んで快談した。覿面《てきめん》に此の効果はあがって謡言は終熄したが、要するに今後の問題は、持久戦に漸く倦んだ士気を如何に作興するかにある。
 此の時小早川隆景進言して言うのに、父の毛利元就が往年尼子義久と対陣した際、小歌、踊り、能、噺
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