。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
とにかく、自分が、書きたいこと、発表したいもの、また発表して価値のあるもの、そういうものが、頭に出来た時には、表現の形は、恰《あたか》も、影の形に従うが如く、自然と出て来るものだ。
そこで、いわゆる小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何んにも要《い》らないのだ。短篇なんかをちょっとうまく纏《まと》める技巧、そんなものは、これからは何の役にも立たない。
これほど、文芸が発達して来て、小説が盛んに読まれている以上、相当に文学の才のある人は、誰でもうまく書くと思う。
そんなら、何処《どこ》で勝つかと言えば、技巧の中に匿《かく》された人生観、哲学で、自分を見せて行くより、しようがないと思う。
だから、本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短篇が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうようなちょっとした文芸上の遊戯に耽《ふけ》ることをよして、専心に、人生に対する修業を励むべきではないか。
それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅を
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