事象に事よせて、自分の人生観を発表したものなのである。
だから、そういう意味で、小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが大切だと思う。
そこで、まだ世の中を見る眼、それから人生に対する考え、そんなものが、ハッキリと定まっていない、独特のものを持っていない、二十五歳未満の青少年が、小説を書いても、それは無意味だし、また、しようがないのである。
そういう青年時代は、ただ、色々な作品を読んで、また実際に、生活をして、自分自身の人生に対する考えを、的確に、築き上げて行くべき時代だと思う。尤《もっと》も、遊戯として、文芸に親しむ人や、或は又、趣味として、これを愛する人達は、よし十七八で小説を書こうが、二十歳で創作をしようが、それはその人の勝手である。苟《いやし》くも、本当に小説家になろうとする者は、須《すべから》く隠忍自重《いんにんじちょう》して、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たない[#「満を持して放たない」に傍点]という覚悟がなければならない。
僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング