動かすことではなく、日常生活の中に、自分を見ることだ。すなわち、日常生活が小説を書くための修業なのだ。学生なら学校生活、職工ならその労働、会社員は会社の仕事、各々《おのおの》の生活をすればいい。而《しこう》して、小説を書く修業をするのが本当だと思う。
 では、ただ生活してさえ行ったら、それでいいかというに、決してそうではない。生活しながら、色々な作家が、どういう風に、人生を見たかを知ることが大切だ。それには、矢張り、多く読むことが必要だ。
 そして、それら多くの作家が、如何《いか》なる風に人生を見ているかということを、参考として、そして自分が新しく、自分の考えで人生を見るのだ。言い換えれば、どんなに小さくとも、どんなに曲っていても、自分一個の人生観というものを、築きあげて行くことだ。
 こういう風に、自分自身の人生観――そういうものが出来れば、小説というものも、自然に作られる。もうその表現の形式は、自然と浮んで来るのだ。自分の考えでは、――その作者の人生観が、世の中の事に触れ、折に触れて、表われ出たものが小説なのである。
 すなわち、小説というものは、或る人生観を持った作家が、世の中の
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