れた。其の時、朝倉家に於て、唯一の豪の者ときこえた真柄十郎左衛門直隆取って返して奮戦した。十郎左衛門は此の度の戦に景健後見として義景から特に頼まれて出陣した男だ。彼は講釈でも有名な男だが、北国無双の大力である。その使っている太刀《たち》は有名な太郎太刀だ。
越前の千代鶴という鍛冶が作り出した太刀で七尺八寸あったと云われている。講釈では余り幅が広いので、前方を見る邪魔にならぬよう窓をつけてあったと云う。それは、嘘だろうが、重量を減すため、ところどころ窓があったかも知れぬ。が一説に五尺三寸と云うから、其の方が本当であったろう。だが真柄の領内で、この太刀を担《かつ》げる百姓はたった一人で、常に家来が四人で荷《にな》ったというから、七尺八寸という方が本当かも知れない。
之に対して次郎太刀というのもあった。其の方は六尺五寸(一説には四尺三寸)あったと云われている。
直隆、景健の苦戦を見て、太郎太刀を「薙刀《なぎなた》の如く」ふりかざし、馬手《めて》弓手《ゆんで》当るを幸いに薙ぎ伏せ斬り伏せ、竪《たて》ざま横ざま、十文字に馳通《はせとお》り、向う者の兜《かぶと》の真向、鎧《よろい》の袖、微塵
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