姉川合戦
菊池寛
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)欺波《しば》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)治郎|大輔《たいふ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「金+示+且」、第3水準1−93−34]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
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原因
元亀元年六月二十八日、織田信長が徳川家康の助力を得て、江北姉川に於て越前の朝倉義景、江北の浅井長政の連合軍を撃破した。これが、姉川の合戦である。
この合戦、浅井及び織田にては、野村合戦と云う。朝倉にては三田村合戦と云う。徳川にては姉川合戦と云う。後に徳川が、天下を取ったのだから、結局名前も姉川合戦になったわけだ。
元来、織田家と朝倉家とは仲がわるい。両家とも欺波《しば》家の家老である。応仁の乱の時、斯波家も両方に分れたとき、朝倉は宗家の義廉に叛《そむ》いた治郎|大輔《たいふ》義敏にくっついた。そして謀計を廻《めぐ》ら
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