乗るのは、苦労に慣れない貴族の通性であろう。彼等はしばしば厳然たる存在である武家を無視しようとした。
 北畠親房は『神皇正統記』に於て、武家の恩賞を論じて「天の功を盗みて、おのが功と思へり」と言って居る。歴史家として鋭い史眼を持って居た親房程の人物でも、公家本位の偏見から脱する事が出来なかったのである。
 これでは武家も収らない。
『太平記』の記者は、
「日来《ひごろ》武に誇り、本所《ほんじょ》を無《なみ》する権門高家の武士共いつしか諸庭奉公人と成《なり》、或は軽軒香車の後に走り、或は青侍格勤の前に跪《ひざまず》く。世の盛衰、時の転変、歎ずるに叶はぬ習とは知りながら、今の如くにして公家《こうけ》一統の天下ならば、諸国の地頭御家人は皆奴婢|雑人《ぞうにん》の如くにてあるべし」
と、その当時武士の実状を述べて居る。
 其の上、多くの武士には恩賞上の不満があった。彼等の忠勤は元来、恩賞目当てである。亦朝廷でも、それを予約して味方に引き入れたのが多いのである。云わば約束手形が沢山出されていたのである。
 後醍醐天皇が伯耆船上山に御還幸の時、名和長重は「古より今に至るまで、人々の望む所は名と利の
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