れ、やっと三七信孝、丹羽長秀の応援に依って漸《ようや》く盛り返すことが出来た。
 第二陣の中川瀬兵衛清秀は、光秀軍の右翼伊勢与三郎等の軍に向った。中川は、元荒木村重の被官で、以前此の山崎附近の糠塚《ぬかつか》で、和田伊賀守と云う剛将を単身で打ち取った剛の者で、勝手知ったる戦場ではあるし、目ざましい奮戦をつづけて、早くも勝機を作ったのである。光秀は、之より先天王山が、気になったので、並河|掃部《かもん》、溝尾勝兵衛の二人を応授にやったが、既に松田の軍破れ松田は討死して、天王山は全く秀吉の手中に落ちてしまっていた。
 秀吉、生駒|親正《ちかまさ》、木村|隼人《はやと》を天王山方面に増援して、横槍についてかからせた。こうなると、光秀の軍は絶えず右翼を脅威せらるることになり、中央軍の奮戦に拘わらず、敗色既に掩《おお》いがたきものがあった。
 それと同時に、左翼は淀川を頼みにして、配備が手薄であったところ、秀吉の第三軍たる池田勝入斎が川沿いの歩立《かちだち》の小路を発見し、潜行して、光秀軍の左翼たる津田与三郎等の陣に切ってかかった。
 光秀が、天王山に関心しながら、淀川の方を気にしなかった事も亦
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