。秀吉軍が、展開するのは、ずうっと遅れた。なぜ、光秀が展開を終った隊勢で、まだ隊勢の整わざる前の秀吉軍を打たなかったか、それが一つの敗因であると戦術家は批評している。
 戦争開始前、高山右近の家来の甘利八郎太夫と云う男が、牀几に依って戦機の熟するのを待っている右近の前に出て、
「私は、只今どちらにしていいか分らない事があるから、御判断を願いたい。お殿様は、私を無能の人間として、禄など少しも下さっていない。その私が、ここで手柄を現すと、殿様の不明を現わすことになって不忠になる。と云って、臆病な振舞をすると、父祖の名を汚して不孝になる。いずれに致しましょうか」と、三度までくり返して訊いた。皮肉な奴が居たものである。右近心中に怒り、斬り捨てんと思ったが、大事の前の小事であり、かつは年々のクリスチャンであるし、だまっていると、「不忠の名を取るとも、累代の武名を汚すわけには行かぬ」と云って、明智勢に切り入って、一番槍、一番首、二番首の功名を一人でさらってしまった。
 戦いは、午後に入って始まった。高山右近は、明智の中央軍斎藤内蔵介に向ったが、相手は明智方第一の剛将なので高山勢さんざんに打ちまかさ
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