ただけである。
弥惣次は右衛門の名を聞いた時には、これは待っていたよい機会が来たと思った。無下に剥ぎ取っては傍の者が承知しまいとさっきから手を出しかねていたのであった。彼は急に居丈高《いたけだか》になって、
「右衛門|奴《め》ならなぜ館のお供をせぬのじゃ」とののしった。
右衛門はこれを聞いて顔色を変えた。実際彼は主君を捨てて逃げて来たのである。府中を落ちて二、三里も行った時、彼らの一群を追いかける織田家の甲冑《かっちゅう》が四、五町後の街道に光るのを見た時に、彼は死を恐れる心よりほかの考慮は何もなかった。彼は馬に乗ることはすこぶる不得手なので、さっきから一行にしばしば乗り遅れている。もし敵に追いつかれたら、いちばん先に片付けられるのは自分でなければならぬと思うと、今にも背中に敵の槍首が突き通りそうで、生きた心持とてはなかったのである。彼は幾度も躊躇した後、左手の林の中に馬を乗り入れるとすぐ馬を乗り放して、それから遮二無二逃げたのである。彼はこういう弱味があるので、ぐうともいえなかった。
「見せしめに剥いでしまえ」と弥惣次が怒鳴った。
これはすこぶる不当な結論ではあるが、戦国ではこ
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