間は、営舎の内部がひどい熱気に蒸されて、大きいストーブのようになっていた。そして、ワルシャワ名物の蝿が、天井にも、床にも、壁にも、いっぱいに止まって、それが不断に動いて、壁や天井そのものまでが動いているように見えた。
が、夜になるとワジェンキ宮殿の泉水には冷たい微風が吹き起った。月の光が、ワルシャワの街を青い潮水の水底にあるように思わせた。その中を霧が煙のように絶えず上って、霧の晴間には、月の光にぬれた樹木の青葉が、きらきらと輝いているのが見えた。そんな宵、彼は必ずリザベッタの家を訪うた。
彼女は、バガテラからあまり遠くない、ブラウスキ街十二番地にある家に住んでいた。彼女は大きい建物の三階にある部屋を三つばかり占めていて、ローナという年寄の婦人と慎ましく住んでいた。彼女は劇場に出る前の短い時間を、欣《よろこ》んでイワノウィッチをもてなした。
彼はリザベッタの室にいる時、折々老婆がダシコフの来たことを告げに来ることがあった。が、そんな時リザベッタは、ちょっとイワノウィッチに気兼ねをしながら、
「病気だといっておくれ」と断った。そうした後などは、イワノウィッチは、ことさらに自分の勝利
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