黄色く実った丘の上に、夜営を張った。その丘の六百メートルばかり右にも檜《ひのき》のまばらに生えているもう一つの丘があった。そこには、同じ五十五師団の野砲隊が、野営をしていた。翌朝、広い平原の上に夜が明けると、白い霧がいっぱいに、土地を圧していた。彼の隊へは早朝に来るはずの退却命令がどうしても来なかった。大隊長はやや焦り気味で、伝令を続けざまに、後方の師団司令部にやった。
 すると、後方の、針葉樹の林に登った太陽が、濃い霧を透《すか》し始めると、左の丘には、やはり砲軍の姿がほのかに見えていた。隊長は安心した。味方の砲兵もまだ退却していないと思ったが、安心はすぐ裏切られた。その砲軍の一つが、不意に紅の舌を出したかと見る間に、朝の静かな天地を砲声が殷々《いんいん》とどよもして、五、六発の榴弾が、不意に味方の頭上に破裂したのである。味方の砲兵隊は、いつの間にか退却して独軍のそれが入れ替わっていたのであった。
 大隊長はしばらく、失望にとらわれていた。が、この場合、退却するということは、すべての人間を敵の砲火の犠牲にすることであった。彼は直ちに、部下の大隊に戦闘隊形をとらした。イワノウィッチは、
前へ 次へ
全30ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング