慮せず、否、ほとんど死に向って吶喊《とっかん》せんとするがごとき行動を現すことしばしばなりき。しかも、彼は、なんらの微傷だに負わず、今もなお勇敢に戦いつつあるが、陸軍当局は、彼に対して、サン・ジョルジェ十字勲章を与うべく進達したる由なり」とあった。
この新聞の記事は、まだ、彼の勇戦を十分には尽くさなかった。彼は率先してすべての危険を引き受けた。味方の斥候隊が敵と味方との陣地の中央に倒れた時、彼は必ず、収容のために、身を挺して赴《おもむ》いた。ことに彼がラウカの戦線で味方の負傷兵と重砲とを救った語は、ほとんど全軍に知れた話である。
が、彼はいくら奮戦しても、微傷さえも負わなかった。彼は自殺の短銃を独軍の砲弾にするつもりであった。が、その砲弾は、はなはだ頼りのない凶器であった。彼は、自ら死を追った。が、死は容易に彼の要求を、許さなかったのである。
そのうちに、彼の死場所が、とうとう得られたと思った。独軍に圧迫された露軍は、ヴィスワの戦線を追われ、湾曲した線をなしながら、だんだん露国の内地に退却して行った。コヴノの要塞にもう二十マイルという地点に接近した時であった。彼の大隊は、ライ麦の
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