身様などは、まだいい。御身様は、物心ついた七歳の時から四十七歳の今日まで、人間の定命《じょうみょう》を敵討ばかりに過した者の悲しみを御存じないのじゃ」
 そういったかと思うと、三十年間の櫛風沐雨《しっぷうもくう》で、銅《あかがね》のように焼け爛れた幸太郎の双頬《そうきょう》を、大粒の涙が、ほろりほろりと流れた。
 忠次郎の傷ついた胸が、温かい手でさっと撫でられたように一時に和《なご》んでいた。
 二人は、目を見合わしたまま、しばらくは涙を流し合った。

     その三

 宝暦三年、正月五日の夜のことである。
 江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、お正月の吉例として、奉公人一統にも、祝酒《いわいざけ》が下された。
 ことに、旧臘十二月に、主人の孫太夫は、新たにお小姓組頭に取り立てられていた。二十一になった奥方のおさち殿が、この頃になって、初めて懐胎されたことが分かった。
 慶《よろこ》びが重なったので、家中がひとしお春めいた。例年よりは見事な年暮《ねんぼ》の下され物が、奉公人を欣ばした。五日の晩になって、年頭の客も絶えたので、奉公人一統に祝い酒を許されたのであった。
 主人の孫
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