太夫は、奉公人たちの酒宴の興を妨げぬ心遣いからであろう。日が暮れると、九段富士見町の縁類へ、年始のためだといって、出かけて行った。
 家老や用人たちは、表座敷の方でうち寛《くつろ》いでいた。中間や小者や女中などは、台所の次の間で、年に一度の公けの自由を楽しんでいた。
 二更を過ぎた頃になっても、酒宴の興は少しも衰えなかった。若い草履取や馬丁は、この時だというように、女中に酌をしてもらいながら、ぐいぐいと飲み干した。
 松の葉崩しや海川節《かいせんぶし》を歌い出すものがある。この頃はやり出した吾妻拳を打ち出すものがある。立ち上って踊り出すものがある。
 台所で立ち働いていた料理番の嘉平次までが、たまらなくなって、板前の方をうっちゃらかして酒宴の席へ顔を出した。
「嘉平か? 御苦労! もう食い物の方はたくさんだ。さあ! 貴公もそこへ座って一杯やれ!」
 中間の左平が、それを見ると、すぐに杯をさした。
 嘉平次は、六十を越していた。が、彼は新参ではあるが、一家中で誰知らぬ者もない酒好きであった。さっきから、燗番をしながら、樽から徳利の方へ移すときに、茶碗で幾杯も幾杯も盗み飲みをしたので、すで
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