ち果さなかったかを責めた。が、その叱責が無理であることは、叱責している兄自身がよく分かっていた。兄は、切腹する切腹すると叫びながら、幾度も短剣を逆手《さかて》に持った。そのたびに温厚な弟が制した。果ては、兄弟が手をとって慟哭した。彼らの慟哭は、夜明けまでも続いた。
八年の辛苦が、ことごとく水泡に帰した。張りつめた気が、一時に抜けた。兄弟は、うつけ者のごとく、ただ茫然として数日を過した。
弟が、ようやく兄を慰めて、郷里の新発田へ帰って来た。弟は、京都を立つ前、ひそかに所司代へ願い出て、敵直之進が、横死した旨の書状を貰った。
兄弟の家は、八百石を取って、側用人を務むる家柄であった。藩では、さすがにこの不幸な兄弟を見捨てなかった。兄忠次郎に旧知半石を与えて、馬回りに取り立ててくれた。
が、忠次郎は怏々《おうおう》として楽しまなかった。その上、兄弟についての世評が、折々二人の耳に入った。それは、決して良い噂ではなかった。二人は、敵を見出《みいだ》しながら、躊躇して、得討《えう》たないでいる間に、敵に死なれたというのは、まだよい方の噂だった。悪い方の噂は、兄弟をかなり傷つけていた。和田淳
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