庵という医師が病死したからといって、それが直之進であるとは決っていない。ことに父が討たれたときに、弱冠であった忠三郎が敵の面体を確かに覚えていようはずがない。その忠三郎が、一目見たからといって淳庵が直之進であると決めてしまうのは、不|穿鑿《せんさく》であると。これは、兄弟にはかなり手痛い非難であった。が、もっとひどい噂があった。兄弟は、敵討に飽いたのだ。わずか八年ばかりの辛苦で復讐の志を捨ててしまったのだ。和田淳庵という名もない医師が死んだのを、直之進が病死したのだといいこしらえて、帰参のいい訳にしたのだと。兄はそんな流言を聞くごとに、血相を変えていきり立った。彼はそうした噂をいいふらすものと、刺し違えて死のうと思っていた。が、そうした流言は、誰がいいふらすともなく、風のごとく兄弟の身辺を包んで流れるのであった。
兄弟にとっていちばん悲しいことは、そうした世の疑いを解くべき機会が、永久に来ないことだった。
年が明けると安政四年であった。兄弟にまつわる悪評も、やっぱり年を越えていた。が、安政四年の秋となり、冬となると、さすがに、兄弟のことを取り立てていう者もなくなった。短気な忠次郎も
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