てから、八年ぶりに、親の敵和田直之進が、京師室町四条上るに、児医師《こどもいし》の看板を掲げて、和田淳庵という変名に、世を忍んでいるのを探り当てた。
 それを初めに知ったのは、弟の忠三郎であった。二度目に上方へ上ったとき、兄弟は京と大坂に別れて宿を取った。別々に敵を尋ねるための便宜だった。
 弟の忠三郎が、三条通りを何気なく歩いていたとき、彼は町家の軒先に止まった医師のそれらしい籠を見た。籠の垂《た》れを内から掲げながら、立ち出でた総髪の男を見たとき、彼は嬉しさのあまり躍り上りたかった。それは紛れもなく和田直之進だった。彼は、即座に名乗りかけて、討ち果したいと思ったが、兄のことがすぐに心に浮んだ。八年の間、狙いながら、肝心の場所にいあわさない兄の無念を想像すると、自分一人で手を下すことは、思いも寄らなかった。彼は逸《はや》る心を抑えながら、直之進が再び籠に乗るのを待ったのである。
 彼は、敵の在《あ》り処《か》を突き止めると、小躍りしながら、すぐ京を立って、伏見から三十石で大坂へ下った。が、その夜遅く、兄の宿っている高麗橋の袂《たもと》の宿屋を尋ねたとき、不幸にも兄が大和から紀州へ回る
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