ない、ほの暗い堂内では、それが何人《なんびと》であるか、容易にはわからなかった。が、相手は彼が目覚めたのを知ると、明らかに狼狽した。
彼は、その狼狽によって、相手が昼間の老僧であることが分かった。それと同時に、その老僧の右の手に、研ぎ澄まされた剃刀《かみそり》がほの白く光っているのを見た。が、彼にはそれを防ごうという気もなかった。向うから害心を挟んできたのを機会に、相手を討ち取ろうという心も、起らなかった。ただ、自分が許し尽しているのに、それを疑って自分を害そうと企てた相手を憫む心だけが動いた。が、それもすぐ消えた。彼には、右半身の痺れだけが感ぜられた。
「愚僧は宵より、右肩を下につけ、疲れ申す。寝返りを許されい!」
彼は、口のうちで呟くようにいいながら、狭い五布《いつの》の蒲団の中で、くるりと向きを変えた。夢とも現《うつつ》ともない瞬間の後に、彼は再び深い眠りに落ちていた。
役僧の一人が、永平寺を逐電したのは、その翌日である。
その二
越後国|蒲原郡新発田《かんばらごおりしばた》の城主、溝口|伯耆守《ほうきのかみ》の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出
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