万之助の様子を見ながら、万之助に復讐の志を変えさせることが、皆のためにもなり、万之助のためにもなるのではないかと思っていた。
そのうちに、明治六年が来た。
正月の年賀に、万之助は水道橋の旧藩主松平邸に行った。彼は、そこで山田甚之助に会ったが、山田は軍刀の柄を握って、万之助に対し少しの油断も見せなかった。万之助は、懐中していた短刀の柄に幾度も手をかけたが、吉川も同時に討ちたいという気持と、相手が着ている絢爛たる近衛士官の制服の威力に圧倒されて、とうとう手が出なかった。
その夜、万之助は新一郎の前で、泣きながら口惜しがった。
それから、間もない明治六年二月に、太政官布告第三十七号として、復讐禁止令が発布された。
布告は、次の通りの文章であった。
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人ヲ殺スハ、国家ノ大禁ニシテ、人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ、政府ノ公権ニ候処、古来ヨリ父兄ノ為ニ、讐《アダ》ヲ復スルヲ以テ、子弟ノ義務トナスノ古習アリ。右ハ至情不[#レ]得[#レ]止ニ出ルト雖モ、畢竟私憤ヲ以テ、大禁ヲ破リ、私義ヲ以テ、公権ヲ犯ス者ニシテ、固《モトヨリ》擅殺《センサツ》ノ罪ヲ免レズ。加之《シカノミナラズ
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