分かっている。長い間、拙者を待っていて下さるお心は、身にしみて嬉しい。今も、そなたを妻同然に思っている。しかし、夫婦の契りだけは、心願のことあって、今しばらくはできぬ。そなたも心苦しいだろう、拙者も心苦しい。が、あきらめていてもらいたい。そのうちには、妻と呼び夫と呼ばれる時も、来るでござろう」
新一郎の言葉には、真実と愛情とが籠っていた。
お八重は、わあっと泣き伏してしまった。
が、しばらくして泣き止むと、
「失礼いたしました。おゆるし下さいませ」というと、しとやかに襖を開けた。
(お八重どの!)新一郎は、呼び返したくなる気持を危く抑えた。
六
万之助は、上京の目的を改めて話すといったままで、そのままになっていた。そして、新一郎の屋敷へ来てからも、毎日のように出かけて行った。
最初は、学問の稽古に出かけているのかと思っていると、女中などの話では、剣術の稽古に通っているとのことで、新一郎は何かしら不安な感じがしたので、ある晩、万之助を膝元に呼んで、
「そなたは、毎日剣術の稽古に通っておられるとのことであるが、本当か」と、きいた。
「はあ」
万之助は、素
前へ
次へ
全37ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング