は、学才があるだけに出世も早く、明治も五年には東京府判事になった。
が、彼は高松を出てから、成田頼母の遺族を忘れることはなかった。
許嫁《いいなずけ》同様の、お八重の美しい高島田姿を時々思い出した。お正月や端午の節句などに成田家へ遊びに行くと、酒好きな頼母の相手をさせられたが、そんな時には、きっとお八重が、美しく着飾ってお酌に出た。
頼母の横死の後も、お八重や万之助は少しも新一郎を疑わなかった。しかし、新一郎は、良心に咎《とが》められて、自分から成田家へ足を遠ざけた。
お八重の父親の死に加えて、維新の変革が続いて起ったので、新一郎とお八重の縁談は、そのままになってしまった。
(もう、お八重殿は、きっとどこかへ縁付かれたであろう。それともまだ家におられるだろうか)
新一郎は、東京に出てからも、時々そう考えた。
お八重に貞節を守っているわけではなかったが、新一郎もまだ結婚しないでいた。先輩や同僚から縁談を勧められたが、なんとなく気が進まなかった。
明治四年の春に、高松から元の家老の蘆沢伊織が上京して来た。新一郎とも遠縁であったし、成田の家とも遠縁であった。
新一郎が、水道橋
前へ
次へ
全37ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング