ゃ、今勘五郎どのや、藤作どののいわれる通りじゃ。この村にお奉行様の姿を見かけて、石を投げ打つような、大それた暴れ者のおらんことは、わしが誰よりも、よう知っとる。が、時の災難で、不祥な嫌疑を受けたのを不運と諦めて、村一統を救うつもりで誰ぞ、名乗って出てもらいたいのじゃ。……(間)……そういったところで、おいそれと名乗って出られるものでない。命う放り出すのじゃけにのう。が、昔佐倉領の宗五郎様は、自分の命を投げ出して、百姓衆の命を救うたけに、今でも神様に祭られている。誰ぞ自分の身一つ投げ出し、村一統の難儀を救うてくれる人はないか。
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(一座、寂として声なし。ただ、嗟嘆の声が洩れるのみ)
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茂兵衛 御一統、誰も石を投げた仁はないか。
名主一 ええないか。誰ぞ、石を投げたものは、おらんか。石を投げた覚えのある人はその石が松野様に中《あた》ったと諦めて、名乗って出てくれ。
茂兵衛 どなたもないか。
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(一座、顔を見合わすのみ。一人も声を発するものなし)
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茂兵衛 それならば、しようがない。是非に及ばぬことじゃ。村一統知らぬ存ぜぬで、どなにひどい責苦にでもかかるのじゃ。その代り、みなもその覚悟してな、入牢《じゅろう》の腹を決めて下されな。俺《わし》も、ことによっては、磔にでもなんでもなる覚悟をするけにな。
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(皆凄惨な気に打たれる。そして動揺して、口々に眩き出す)
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村人五 藤作、わりゃ石投げたじゃねえか。
藤作 (驚いて)滅相もないこと、ぬかすな。われこそ真っ先に行ったけに、石投げたじゃねえか。
村人五 何をぬかす、この阿呆め。
藤作 お前こそ何ぬかすだ!
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(二人まったく掴み合いになろうとして、傍人から止められる)
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村年寄甲 誰ぞ村の難儀を救う人ないか。あの騒動のとき石投げた人はないか。
村年寄乙 村のために、誰ぞ出てくれい。誰ぞ出てくれ。
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(一座また静まって声を発するものなし)
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茂兵衛 じゃ、皆覚えがないというなら、わしゃ、そういってお奉行様に、お返事申し上げるほかはないぞ。念のためにもう一度だけ、きこう、あの騒動のときに、誰ぞ石を投げたものはないか。あの騒動のときに、誰ぞ石を投げたものはないか。石を投げた人は村のためじゃと思って出てくれ。
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(甚兵衛は、最初より茫然として、人々の話をきいていない。ただ庄屋の最後の声が大きいので、ふと耳をかたむける)
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村年寄甲 さあ、今じゃぞ、石を投げた覚えのある人は出てくれ。
村年寄乙 村を救うてくれるのなら、今じゃぞ。今出てくれんと、村はえらい難儀になるんじゃ。
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(村年寄の絶叫する声を聞いて、甚兵衛むくむくと立ち上る。甚作驚いて制止しようとする)
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甚兵衛 なんやと、騒動のときに、石を投げた者ないかいうのけ。
村年寄甲乙 そうじゃ。そうじゃ。
甚兵衛 (子供のごとく無邪気に)わしゃ投げたぞ。
村年寄村人たち ええ、甚兵衛どん。お前投げたか。
甚兵衛 投げたとも。わしゃ二つ投げたぞ。
村年寄村人たち ほんまか。ほんまか。(驚喜す)
甚作 (駆けよって)兄や、何いうんじゃ。
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(おどろいて兄の口を制せんとしながらいう)
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甚兵衛 (うるさそうに、弟をはねのけながら)ええ、あっちへいとれ。わしゃ、投げたぞ。おまけに、一つの方はこななでっかいやつじゃ。藤作どん。われも投げていたじゃないか。勘五郎どん、われも投げていたじゃねえか。
勘五郎 (愕然として)滅相な、わりゃ何をいうだ。
藤作 (同じく)ほんまじゃ。人違いして何いうだ。
甚兵衛 そうけ。人違いだったか。わしゃ皆投げていたけに、わしも真似して投げたんじゃ。
勘五郎 (なお震えながら)滅多なこというな。そりゃ、皆|他
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