彼のごとき高い教養と秀れた趣味と、和漢洋の学問を備えた作家は、今後絶無であろう。古き和漢の伝統および趣味と欧州の学問趣味とを一身に備えた意味において、過渡期の日本における代表的な作家だろう。我々の次の時代においては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現われることなどは絶無であろうから。
 彼は、文学上の読書においては、当代その比がないと思う。あの手記の中にあるマインレンデルについて、火葬場からの帰途、恒藤君が僕に訊いた。
「君、マインレンデルというのを知っているか。」
「知らない。君は。」
「僕も知らないんだ、あれは人の名かしらん。」
 山本有三、井汲清治、豊島與志雄の諸氏がいたが、誰も知らなかった。あの手記を読んで、マインレンデルを知っていたもの果たして幾人いただろう。二、三日して恒藤君が来訪しての話では、独逸の哲学者で、ショペンハウエルの影響を受け、厭世思想をいだき、結局自殺が最良の道であることを鼓吹した学者だろうとの事だった。
 芥川はいろいろの方面で、多くのマインレンデルを読んでいる男に違いなかった。
 数年前、ショオを読破してショオに傾倒し、ショオがいかなる社会主義者よりもマル
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