申し出を拒けて僕を不快にさせまいとする最後の交誼として、承諾してくれたのであっただろうと思う。彼が、自分宛の遺書の日付は、四月十六日であるから、もうその頃は、いよいよ決心も熟していたわけである。
今から考えると、自分は芥川に何も尽すことが出来なかったが、彼は蔭ながら、自分の生活ぶりについて、いろいろ心配していてくれたらしい。去年の十月頃鵠沼にいた頃、僕のある事件を心配して、注意をしてくれ、もし自分の力で出来ることがあったら、上京するから電報をくれというような手紙をくれた。ところが、自分はその事件などは、少しも心配していなかったので、心配してくれなくってもいい旨返事したが、芥川が神経衰弱に悩みながら、僕のことまで考えてくれたことを嬉しく思った。彼は、近年僕が、ちっとも創作しないのをかなり心配したと見え、いつかも、(「文藝春秋」を盛んにするためにも、君が作家としていいものを書いていくことが必要じゃないか)
と言ってくれた。それに対して、
(いや、僕はそうは思わない。作家としての僕と、編集者としての僕は、また別だ。編集者として、僕はまだ全力を出していないから、その方で全力を出せば、雑誌はも
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