て、京都に行って夏休みに上京した頃、はじめて芥川と親しくしたと思っている。その後、自分が時事新報にいた頃から、親しくなり、大正八年芥川の紹介で大阪毎日の客員となった頃から、いよいよ親しく往来したと思う。最近一、二年は、自分がいよいよ俗事にたずさわり、多忙なので月に一度くらいしか会わなかった。最近もっとも親しく往来した人は小穴《おあな》隆一君であろう。小穴君は、芥川に師事し日として会わざる日なきありさまであった。
 芥川と、僕とは、趣味や性質も正反対で、また僕は芥川の趣味などに義理にも共鳴したような顔もせず、自分のやることで芥川の気に入らぬこともたくさんあっただろうが、しかし十年間一度も感情の阻隔を来したことはなかった。自分は何かに憤慨すると、すぐ速達を飛ばすので、一時「菊池の速達」として、知友間に知られたが、芥川だけには一度もこの速達を出したことがない。
 僕と芥川は、どちらかといえば僕の方が芥川に迷惑をかけた方が多いかと思う。しかし、それにもかかわらず、僕の言う無理はたいていきいてくれた。最近の「小学生全集」の共同編集なども、自殺を決心していた彼としては嫌であったに違いないが、自分の
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