の女人との恋愛問題などがある程度以上のものであるはずなく、ただああした女人も求むれば求め得られたという程度のものだろう。あの「女人云々」について、僕宛の遺書には、その消息があるなどと、奇怪な妄説をなすものがあったが、そういう妄説を信ずる者には、いつでも自分宛の遺書を一見させてもいいと思っている。僕宛の遺書は僕に対する死別の挨拶のほか他の文句は少しもない。
 芥川の「手記」をよめば、芥川の心境は澄み渡ってい、落ち付き返ってい、決して生々しい原因で死んだのでないことは、頭のある人間には一読して分るだろう。芥川としては、自殺ということで、世人を駭《おどろ》かすことさえも避けたかったのだ。病死を装いたかったのであろう。

 芥川と自分とは、十二、三年の交情である。一高時代に、芥川は恒藤《つねとう》君ともっとも親しかった。一高時代は、一組ずつの親友を作るものだが、芥川の相手は恒藤君であった。この二人の秀才は、超然としていた。と、いって我々は我々で久米、佐野、松岡などといっしょに野党として、暴れ廻っていたが、僕は芥川とは交際しなかった。
 僕が芥川と交際し始めたのは、一高を出た以後である。一高を出
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