るわけである。
 既にこの頃は夜は全く明け放れて、今日の暑さを思わせるような太陽が、山の端《は》を可なり高く昇っている。信長顧みれば決死の将士千八百粛々として附いて来ているが、今川勢は、何しろ十倍を越す大軍である。少しでも味方を多勢に見せなければならないと云うので、加藤順盛に命じて町家から、菖蒲幟《しょうぶのぼり》、木綿切《もめんぎれ》等を集めさせ、熱田の者に竹棹をつけて一本ずつ持たせ、高い処に指物の様に立たせて、擬兵をつくった。
『桶狭間合戦記』に、
「熱田出馬の時信長乗馬の鞍の前輸と後輸《しずわ》とへ両手を掛け、横ざまに乗りて後輪によりかゝり鼻謡を謡ふ」
 とある。大方、例の『敦盛』と同じように好んで居た「死のうは一定《いちじょう》しのび草には何をしよぞ、一定かたりのこすよの……」
 と云う小唄でも口ずさんで居たのであろう。決戦間近かに控えてのこの余裕ぶりは何と云っても天才的な武将である。こんな恰好で神宮を出でたつと道路の傍《わき》に、年の頃二十|計《ばか》りの若者が羽織を着、膝を付けて、信長に声を掛けられるのを待って居る様子である。信長見ると面体|勝《すぐ》れて居るので、何者だと
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