等が之に乗じて進み、門を閉ざす暇《いとま》を与えずに渡り合い、松平義忠の士、左右田正綱一番乗りをし、ついに火を放って焼くことが出来た。元康はそこで、松平家次に旗頭の首七つを、本陣の義元の下に致さしめて、捷《かち》を報告させた。義元、我既に勝ったと喜び賞して、鵜殿長照に代って大高城に入り人馬を休息させる様に命じ、長照には笠寺の前軍に合する様命じた。これが両軍接戦のきっかけであるが清須に在る信長は悠々たるものであった。
前夜信長は重臣を集めたが一向に戦事を議する様子もなく語るのは世俗の事であった。気が気でなくなった林通勝は、進み出て云った。「既に丸根の佐久間から敵状を告げて来たが、義元の大軍にはとても刃向い難い。幸に清須城は天下の名城であるからここに立籠られるがよかろう」と。
信長はあっさり答えた。「昔から籠城《ろうじょう》して運の開けたためしはない。明日は未明に鳴海表に出動して、我死ぬか彼殺すかの決戦をするのみだ」と。之を聞いた森三左衛門可成、柴田権六勝家などは喜び勇んで馬前に討死|仕《つかまつ》ろうと応《こた》えた。深更になった時分信長広間に出で、さい[#「さい」に傍点]と云う女房
前へ
次へ
全30ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング