位に小勢ではあるが、各部将以下死を決して少しも恐るる色がなかった。
丸根砦の佐久間大学盛重は徒らに士を殺すを惜んで、五人の旗頭《はたがしら》、服部|玄蕃允《げんばのすけ》、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。
永禄三年五月十八日の夜は殺気を山野に満したまま更《ふ》けて行った。むし暑い夜であった。
両軍の接戦、桶狭間役
むし暑い十八日の夜が明けて、十九日の早朝、元康の部将松平|光則《みつのり》、同|正親《まさちか》、同政忠等が率いる兵が先ず丸根の砦に迫った。かねて覚悟の佐久間盛重以下の守兵は、猛烈に防ぎ戦った。正親、政忠|殪《たお》れ、光則まで傷ついたと云うから、その反撃のほどが察せられる。大将達がそんな風になったので士卒等は、忽《たちま》ちにためらって退き出した。隙を与えず盛重等、門を十文字に開いて突出して来た。元康之を望み見て、これは決死の兵だから接戦してはかなわない、遠巻にして弓銃を放てと命じたので、盛重等は忽ちにして矢玉の真ただ中にさらされて、その士卒と共に倒れた。元康の士|筧《かけひ》正則
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