等が之に乗じて進み、門を閉ざす暇《いとま》を与えずに渡り合い、松平義忠の士、左右田正綱一番乗りをし、ついに火を放って焼くことが出来た。元康はそこで、松平家次に旗頭の首七つを、本陣の義元の下に致さしめて、捷《かち》を報告させた。義元、我既に勝ったと喜び賞して、鵜殿長照に代って大高城に入り人馬を休息させる様に命じ、長照には笠寺の前軍に合する様命じた。これが両軍接戦のきっかけであるが清須に在る信長は悠々たるものであった。
前夜信長は重臣を集めたが一向に戦事を議する様子もなく語るのは世俗の事であった。気が気でなくなった林通勝は、進み出て云った。「既に丸根の佐久間から敵状を告げて来たが、義元の大軍にはとても刃向い難い。幸に清須城は天下の名城であるからここに立籠られるがよかろう」と。
信長はあっさり答えた。「昔から籠城《ろうじょう》して運の開けたためしはない。明日は未明に鳴海表に出動して、我死ぬか彼殺すかの決戦をするのみだ」と。之を聞いた森三左衛門可成、柴田権六勝家などは喜び勇んで馬前に討死|仕《つかまつ》ろうと応《こた》えた。深更になった時分信長広間に出で、さい[#「さい」に傍点]と云う女房に何時かと尋ねた。夜半過ぎましたと答えると馬に鞍を置き、湯漬を出せと命じた。女房かしこまって昆布勝栗を添えて出すと悠々と食し終った。腹ごしらえも充分である。食事がすむと牀几に腰をかけて小鼓を取り寄せ、東向きになって謡曲『敦盛』をうたい出した。この『敦盛』は信長の常に好んで謡った処である。「……此世は常の栖《すみか》に非ず、草葉に置く白露、水に宿る月より猶怪し、金谷《かなや》に花を詠じし栄華は先立《さきだっ》て、無常の風に誘はるゝ、南楼の月を弄《もてあそ》ぶ輩《やから》も月に先立て有為の雲に隠れり。人間五十年|化転《げてん》の内を較《くら》ぶれば夢幻の如く也、一度《ひとたび》生を稟《う》け滅せぬ物のあるべきか……」
朗々として迫らない信長のうた声が、林のように静まりかえった陣営にひびき渡る。部下の将士達も大将の決死のほどを胸にしみ渡らせたことであろう。本庄正宗の大刀を腰にすると忽ち栗毛の馬に乗った。城内から出た時は小姓の岩室《いわむろ》長門守、長谷川橋介、佐脇藤八、山口飛騨守、賀藤弥三郎の五騎に過ぎない。そのまま大手口に差しかかると、黒々と一団が控えている。見ると森、柴田を将とした三百
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