た。
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丸根砦攻撃   松平元康 二千五百人
鷲津砦攻撃   朝比奈|泰能《やすよし》 二千人
援軍      三浦備後守 三千人
清須方面前進  葛山《くずやま》信貞 五千人
本軍      今川義元 五千人
鳴海城守備   岡部三信 七八百人
沓掛城守備   浅井政敏 千五百人
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 更に大高城の鵜殿《うどの》長照をして丸根鷲津攻撃の応援をさせる。この鵜殿は先に信長の兵が来り攻めて兵糧に乏しかった時に、城内の草根《そうこん》木菓を採って、戦なき日は之れを用い、戦の日には、ほんとうの米を与えたと云う勇士である。
 この今川勢の、攻進に対して、織田勢も、準備を全くととのえてあった。すなわち、
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鷲津砦   織田信平 四五百人
丸根砦   佐久間|盛重《もりしげ》 同右
丹下砦   水野忠光 同右
善照寺砦  佐久間|信辰《のぶたつ》 同右
中島砦   梶川一秀 同右
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 これらの砦は丹下の砦で四十間四方に対して、あとはみな僅に十四五間四方のものに過ぎない。兵も今川勢に比べると比べものにならない位に小勢ではあるが、各部将以下死を決して少しも恐るる色がなかった。
 丸根砦の佐久間大学盛重は徒らに士を殺すを惜んで、五人の旗頭《はたがしら》、服部|玄蕃允《げんばのすけ》、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。
 永禄三年五月十八日の夜は殺気を山野に満したまま更《ふ》けて行った。むし暑い夜であった。

       両軍の接戦、桶狭間役

 むし暑い十八日の夜が明けて、十九日の早朝、元康の部将松平|光則《みつのり》、同|正親《まさちか》、同政忠等が率いる兵が先ず丸根の砦に迫った。かねて覚悟の佐久間盛重以下の守兵は、猛烈に防ぎ戦った。正親、政忠|殪《たお》れ、光則まで傷ついたと云うから、その反撃のほどが察せられる。大将達がそんな風になったので士卒等は、忽《たちま》ちにためらって退き出した。隙を与えず盛重等、門を十文字に開いて突出して来た。元康之を望み見て、これは決死の兵だから接戦してはかなわない、遠巻にして弓銃を放てと命じたので、盛重等は忽ちにして矢玉の真ただ中にさらされて、その士卒と共に倒れた。元康の士|筧《かけひ》正則
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