うおん》せられず、戦乱に超越して風流を楽んで居られたのである。政治的陰謀の激しい下剋上《げこくじょう》の当時に於て、暗殺されなかっただけでも相当なものだ。尤もそれだけに政治家としては、有っても無くてもよい存在であったのかも知れぬ。
事実、将軍としての彼は、無能であったらしく、治蹟の見る可きものなく、寵嬖《ちょうへき》政治に堕して居る。併し何と云われても、信頼する事の出来ない重臣に取捲かれて居るより、愛妾寵臣の側に居た方が快適であるし、亦《また》安全であるに違いない。殷鑒《いんかん》遠からず、現に嘉吉元年将軍|義教《よしのり》は、重臣赤松|満祐《みつすけ》に弑《しい》されて居るのである。
亦飢饉時の普請にしても、当時後花園天皇の御諷諫《ごふうかん》に会うや、直《ただ》ちに中止して居る。これなどは、彼の育ちのよいお坊っちゃんらしさが、よく現れて居て、そんなにむきになって批難するにはあたらないと思う。
所詮彼は一箇の文化人である。近世に於ける趣味生活のよき紹介者であり、学芸の優れた保護者である。義満以来の足利氏の芸術的素質を、最もよく相続して居る。天下既に乱れ身辺に内戚の憂《うれい》多
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