居るのであるから、先ず当時に於ける悲惨な知識階級の代表的な意見であろう。彼自身、家は焼かれ貴重な典籍の多くを失って居るのである。
とに角職業的な武士が駄目になって、数の多い活溌な足軽なんかが、戦術的にも重要な軍事要素となったことは、次に来る戦国時代を非常に興昧あるものとして居る。
併し一定の社会秩序に生活の基礎を置く貴族階級にしてみれば、これ程心外な現象もないし、実際下剋上と云う言葉の意味も、現在我々が想像する以上に、深刻なものだったらしい。
兼良は奈良の大乗院に避難して居る。元来奈良の東大寺、興福寺等の大寺では、自ら僧兵を置いて自衛手段を講じて居たので、流寓の公卿を養う事が出来た。併し後には、余りに其の寄寓が多いので費用がかさみ、盛んに、その寺領である諸国の荘園に、用米の催促をして居るのである。諸荘では大いに不満の声を上げたが、此度は是非にも徴集に応ずべきことなりと強制されて居る。
其他公卿は、地方の豪族に身を寄せたり、自ら領地に帰って農民に伍して生計を立てたりして、京都に留る者は殆んど無かった。
其の頃ある公卿に謁せんとした所、夏装束にて恥しければと言う。苦しからずとて、
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