き、万歳期せし花の都、今何ぞ狐狼の臥床とならんとは」と結んで居る。
 思うにこれは単に市街戦の結果とばかりは、断ぜられないのである。敵の本拠は仕方がないとしても、然らざる所に放火して財宝を掠《かす》め歩いたのは、全く武士以下の歩卒の所業であった。即ち足軽の跋扈《ばっこ》である。
『長興記』をして、「本朝五百年来此の才学なし」とまで評さしめた当時の碩学《せきがく》一条|兼良《かねよし》は『樵談《しょうだん》治要』の中で浩歎して述べて居る。
「昔より天下の乱るゝことは侍《はべ》れど、足軽といふ事は旧記にもしるさゞる名目なり。此たびはじめて出来たる足軽は、超悪したる悪党なり。其故《それゆえ》に洛中洛外の諸社、諸寺、五山|十刹《じっさつ》、公家、門跡の滅亡はかれらが所行なり。ひとへに昼強盗といふべし。かゝるためしは先代未聞のことなり」
 そして更に、これは今の武士が武芸を怠った為に、足軽が数が多く腕っ節が強いのを頼み、狼藉《ろうぜき》を働くのであって、「左《さ》もこそ下剋上の世ならめ」と憤慨して居る。
 此の『樵談治要』は応仁の乱後、彼が将軍|義尚《よしひさ》に治国の要道を説いたものから成って
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