より貧乏な人や、せいぜい同じくらいの貧乏人同志から、旦那と呼ばれて満足するなどと言うことは、ネルロにとっては思いもよらぬことです。あかあかと燃える夕映《ゆうばえ》の空、うっすらと狭霧の立ちこめる朝などに、遠くそびえるあの大寺院の尖塔は、ネルロの心と、おじいさんの言葉とは全くちがったものを告げているのでした。しかし少年がこれをはなすのは、犬のパトラッシュだけで、まるで赤ん坊にでも言いきかすように、ゆっくりゆっくりその耳にささやくのでした。車について野原を行く時にも、風そよぐ運河の岸の叢《くさむら》に並んでねころぶときにも、きまって、これをささやくのでした。
パトラッシュのほかにもう一人だけ、ネルロは話相手がありました。それはアロアという小さな女の子で、あの丘の上の風車の家の娘で、お父さんの粉挽屋は、この村一番のお金持でした。アロアは、まだほんの幼い少女でした。ぽっちゃり肥えて、なにか紅い花のような子でした。そのぱっちりした黒い瞳の愛らしさと言ったらないのでした。アロアはよく、ネルロやパトラッシュと遊びました。野原で鬼ごっこをしたり、雪投げをしたり、野菊を摘んだり、くるみひろいに行ったり
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