ュまでの地方は、ベサール川とヴェスドル川の流域である。樫《かし》や※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の森林におおわれた丘陵がその間を点綴《てんてつ》していて、清い冷たい流れの激しい小川がその丘陵の間を幾筋も流れていた。
 八月三日になると、もう苔色《こけいろ》の軍服を着たドイツの軽騎兵がその間に出没し始めた。
 四日の日は、独軍の縦隊が、いくつも銀のように輝いて流れるヴェスドル川の渓谷に沿ってリエージュに向ってきた。リエージュを守るポンチス、ルマン、ロンサン、バルションの堡塁は、皆戦闘準備にかかった。が、何人《なんぴと》も滔々《とうとう》と限りなく続くドイツの大軍を見ては、不安と恐怖とにとらわれぬわけにはいかなかった。
 市民たちには、義勇兵を志願するものが多かった。元来リエージュの町は小銃製造地であったので、どの家にも一挺や二挺の小銃はあった。皆それを手にして思い思いの要塞へ駆け込んだ。
 要塞の士官たちも、皆決死の色を湛《たた》えていた。独軍の圧倒的の攻勢の前には、ただ死があるようにしか思えなかった。士官や兵卒は沈黙のうちに懸命の努力を尽していた。ただこうした悲観的
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