に語し始めるのです。食道楽の僕ですから、こんな話をきくと、ついつりこまれてしまうのです。ことに侯爵家などといえば、きっと腕の冴えた料理人がいるはずです。それが、十分に腕を振るってやる仕事ですから、杉浦にとって、生れて初めての御馳走であったのも、もっともだと思いました。
「一体、どうしてそんな御馳走になったんだい」
と、僕は少々羨ましくなって、ききました。
「それが、こうなんだよ。この間ね、華族会館へ侯爵の写真を撮りに行ったんだ。すると写真がすんでから、侯爵が、『どうだ、いっぺん御馳走をしてやろうか』というんだ。僕はしめたと思ったから、『是非願います』といったんだ。すると『こんどの金曜日に麻布の家へ来い。うまいフランス料理を食わしてやるから』というんだ」
「それで早速行ったんだねえ」
「ところが、昨日行ってみると、家令のやつが、威張りやがって取次ぎしないんだ。侯爵から、何も御沙汰がないといってね。だから、僕はうんと家令をやっつけてやったよ、侯爵が御馳走してやるからといったから来たのだ。それに、取次ぎをしないなんて、けしからん、侯爵にお目にかかって、免職させてやるからといってやると、家令のやつ、何かブツブツいっていたよ」
「それでも、とうとう取次いだんだね。それで侯爵は何といったんだ」
「侯爵は、つい家令にいっておかないで悪かった、といって、すぐ食堂へ案内してくれたよ。僕と侯爵と差し向いさ。フランス料理は、材料の関係でできないから、すっぽんを食わせようというんだ。何でも、土浦から送って来たすっぽんを二匹料理したそうで、一匹が十三円もするそうだよ」
「素敵だね」
と、僕もつい感嘆しましたが、大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆しました。平民的だとか、如才ないなどという噂が、決して嘘ではないことを知りました。それにもう一つ、感心したのは杉浦の度胸でした。汚い背広を着て、侯爵家の表玄関から堂々と、家令をおどかしながら、御馳走になりに行く杉浦の度胸です。すっぽん料理と、侯爵の態度と杉浦の度胸とに、少しずつ感心して、僕は杉浦の話を愉快に聞いたのです。やはり杉浦の無邪気な一本調子の無作法なところが、かえって侯爵などという社会上の慣習に包まれている人には、気に入るに違いない。家令とか家職とか、その周囲の人たちが、社会上の虚礼に囚われて、遠い所からのみ、ものをいっている時に、杉浦のような一本調子の向う見ずの剽軽者《ひょうきんもの》が、ぐんぐん突っ込んで行くところが、かえってああした人たちの気に入るのに違いない。以前のT伯の場合だってそうだ。今度のM侯爵の場合だって、そうだ。杉浦の江戸っ子的な無作法な無邪気な態度が、気に入るに違いない、僕はこんなに思っていたのです。
そのうちに、僕も何かの機会で、M侯爵に会ってみたいと思っていました。いったい僕などは、もう三年も社にいるのですから、侯爵くらい有名な人には、一度くらいは是非会っていなければならないはずですが、ついかけちがって、一度も会ったことがなかったのです。
ところが、去年の末でした。M侯爵などの首唱で、ご存じの労資協調会というのが、創立されることになりました。その時です。部長は、
「どうです。M侯爵に会ってくれませんか。あの人が労資問題をどう考えているかもちょっと面白いことですから」
と、僕にいいました。僕は、杉浦のいわゆるM侯爵に会えるのが、ちょっと興味がありましたから、快く引受けました。
「写真はどうですね。いりませんかね」
と、いうと部長は笑いながら、
「ああ、杉浦君がいたら、すぐ飛んで行くんだけれど、今ちょっと本郷の方へ行っていますから、帰ったら後から別にやりましょう」
といいました。
「ああ、そうですか」
といって、僕は早速一人で出かけました。杉浦と一緒でないことは、ちょっと残念でもあり、心細く思いました。が、杉浦からかねがねきいているので、玄関払いとか居留守などを使われる心配がないと思いましたから、非常に安易な心持で出かけたのです。
社を出る前に、給仕に電話で侯爵邸に問合わさせると、華族会館にいるとのことでした。僕は電車に乗らず歩いて行きました。
華族会館の玄関で、給仕に取次ぎを頼むと、金ボタンの制服を着た給仕は、会社や銀行のそれとは違って、恭しくこちらの名刺を持って去りました。
しばらくすると、つかつかと玄関へ現れたのは、写真や他所目《よそめ》には、たびたび見たことのあるM侯爵のにこにこした丸顔です。僕を見ると軽く会釈して、
「やあ! 君が佐藤君ですか。どこかで会ったことがあるようだね。さあ上りたまえ」
といった
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング