。が、警察の方も厳しく警戒はするものの、さて禁を犯して撮ってしまったところで、盗賊をしたという訳ではなし、そのまま不問に付してしまうのです。そこが写真師の付け目なのです。高貴の方の御着発の時などは、停車場のプラットフォームで、写真師と警察との撮ろう撮らせまいの小競り合いがいつでも行われています。
 今申した杉浦という男も、こうした連中の間に伍して、時々は特種を取ろうという男ですから、図々しく押しが太いのはもちろんです。ついこの間も、宮家へお嫁入りになるI公爵家の令嬢が、玄関から馬車に乗るところを撮ろうとして、どうしても門番が入れてくれないものだから、白昼公爵邸の塀を乗越えて、問題になったという男です。が、根が江戸っ子で、押しの強いわりに毒がなく、どこか無邪気なところがあるために、写しに行く大臣や元老などという連中から、よく気に入られるようです。
 去年死んだ前首相のT伯爵などにも、たいへん知遇(というと大げさですが)を得て、杉浦が行けば、気むずかしいT伯爵が、よく気軽にカメラの前に立ってくれたそうです。
「Tさんは、俺が行けばきっと大丈夫だ。この間も、いつも洋服ばかりだから今度は和服でくつろいだところを撮らせようといったよ。Tさんの和服姿なんて、素晴らしい特種だぜ」
 と、杉浦はよく得意になっていました。軍服ばかりを着てるT伯の和服姿は珍しいものに違いありませんでした。おしまいには、
「Tさんが、今度俺に銀時計をくれるといったよ」
 などといっていました。銀時計だけは保証の限りでありませんでしたが、とにかく杉浦が、T伯の写真といえば、ときどき特種を取って来たことだけは事実です。部長などは心得たもので、
「杉浦君! 今日は外交調査会がある日だから、一つTさんを撮ってきて下さい。Tさんはあなたに限るようですから」
 などといいつけると、ややお調子者の杉浦は、もう大得意で大カメラの入ったズックを重そうに担いで、意気揚々と出かけて行ったものです。
 T内閣が瓦解した時にも、失望落胆した人が、官僚や軍人の中には、いくらかいたでしょうが、杉浦辰三もその少数の中の一人です。もう、T伯の写真などは、新聞の方で必要がなくなったのです。従って、杉浦はその最も得意な縄張りの一つを無くしてしまったというわけです。
 T伯を失ってから間もなく、杉浦が新しく開拓した縄張りが、前に申した例のM侯爵です。
「M侯爵はいいぜ。今日撮った写真なんか、まるで素敵なんだよ。『閣下写真を一つ撮らせて下さい』というと自動車からわざわざ降りてくれたよ。あんないい人はないね」
 と、最初はこんなことをいっていましたが、そのうちに杉浦は、M侯爵といつの間にか顔なじみになったらしいのです。何でも講和大使か何かが、帰朝した時でした。杉浦は、東京駅に写真を撮りに行って帰ると、すぐ僕のところへ来ていうのです。
「今日ね、M侯爵が来ていてね、挨拶すると、『やあ! 君はまだ新聞の写真師をやっているのかい。そう人をむやみに追いかけ回す商売は、早く止めたらどうだ』といったよ。僕の顔をちゃんと覚えているのだよ」
 とやや得意になっていうのです。僕もM侯爵の平民的なことはかねがね聞いていましたが、写真師風情を捕まえて、こんなに自由な冗談をいうほど気軽なことに、たいへん好感を持ちました。新聞記者をしている者がいちばん癪に触るのは、横柄な貴族です。また貴族を笠に着ている家令とか家職などという連中です。従って、M侯爵のような、気軽な如才ない人は新聞記者――ことに社会部記者にとっては、氏神のようにありがたいものです。僕はまだ一度も面会したことのないM侯爵の風貌を想像しながらこういいました。
「そんなに君のことを、侯爵が気にしてくれるのなら、いっそのこと写真師をよせるような方法を講じてくれてもいいじゃないか。今度会ったら、一つそういってみろ!」
 冗談半分にそういいました。すると、杉浦のやつすっかり得意になって、
「俺も、今度会ったらそういおうと思っているんだ。写真館を開業する資金でも出してくれるといいなあ」
 などといっていました。M侯爵も、公人としては花形の方ですから、やれ支那を視察に行くとか、明治神宮の地鎮式に祝詞を読んだとか、相撲を見物しているところなどといって、たびたび写真に撮られる方ですから、杉浦もだんだんM侯爵との知己を深めていったわけです。何でも、去年の十月頃でした。杉浦のやつ、得意になって僕に話しかけようとしましたから、またM侯爵との自慢話だろうと思っていますと、果してそうです。
「昨日ね。M侯爵のところへ行って、大変な御馳走になったよ。すっぽんの羮《あつもの》だとか、すっぽんのビフテキだとか、すっかり材料がすっぽんなんだ。あんな御馳走は生れて初めてだったよ」
 と、何か大手柄をしたよう
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